幸福は人にとって自然なことなのです。ラマナ・マハリシの教え

幸福への願望は、真我の幸福が常に存在していることの証なのです。
そうでなければ、なぜあなたに幸福への願望が沸き起こるでしょうか?
もし頭痛が自然なものなら、誰もそれを取り除こうとはしないでしょう。
しかし頭痛になると、誰もがそれを取り除こうとします。
なぜなら、彼は頭痛がなかったときのことを知っているからです。
人は自分にとって自然なことだけを望むのです。

同じように、人が幸福を望むのは、幸福が自分にとって自然なものだからです。自然なものだからこそ、それは獲得されるものではないのです。
私たちにできるのは、ただ不幸を取り除こうとすることだけです。
もし不幸が取り除かれたら、常に存在する至福を感じることができるでしょう。

原初の至福は「真我ではないもの」によって覆い隠されています。「真我ではないもの」とは至福のない状態、つまり不幸と同義語です。
「不幸を失うこと」=「幸福を得ること」なのです。

不幸と幸福が混ざり合った状態は不幸でしかありません。だから不幸が取り除かれたとき、常に存在している至福が得られると言われています。


「ラマナ・マハリシとの対話3」より